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戦国魂 今日の出来事

■【義昭が所司代屋敷を包囲】天正元年(1573)3月30日

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足利義昭が三好三人衆・松永久秀らとともに、信長方京都所司代村井貞勝の屋敷を包囲する。

 元亀三年(1572)十月、甲斐の武田信玄は兵を率いて甲府を出陣、上洛の途につきました。信玄は家康の属城を次々と落としながら進軍、十二月二十二日には遠州三方ヶ原で徳川家康勢を撃破、引き続いて三河へ侵攻し、野田城を落とします。信長との対立を深めていた室町幕府十五代将軍・足利義昭は、信玄の出陣に大いに喜びました。義昭は翌四年(七月二十八日に天正に改元)三月六日、宿敵松永久秀と三好義継を許して同盟を結び、信長の人質を返した上で断交しました。松永・三好と言えば、義昭の兄で十三代将軍義輝を殺害した張本人なのですが、義昭はそれほどに信長を嫌っていたようです。久秀もこの年の正月には岐阜城に赴き、信長に名刀・不動国行を献上していますが、これまたあっという間に豹変しています。

 信長はやりたい放題の義昭に対し、形式上は臣下であることから我慢をしてきましたが、近江堅田城の一揆・地侍衆を撃破して西近江を平定すると、三月二十五日に義昭討伐の兵を挙げ、二十九日に山城に入り荒木村重・細川藤孝の出迎えを受けています。この間、新御所二条城の堀普請を行うなどして戦いの準備を進めた義昭は、この日三好三人衆・松永久秀らとともに京都所司代・村井貞勝の屋敷を包囲、信長に対して先制攻撃を仕掛けました。

 貞勝が何とか脱出に成功すると、信長は上京の二条以北を焼き払った上で逆に二条城を包囲しました。城内にいた丹波の内藤如安などの兵五千は戦意を喪失、あわてた義昭は四月七日に無条件降伏しています。十二日には信玄が上洛途中で病没、義昭は大きな支柱を失いました。ここでおとなしくしていればまだ良かったのですが、懲りない義昭は七月三日に再び槙島城(京都府宇治市)に挙兵、結局城を追われて室町幕府は滅亡しています。